2015年6月26日金曜日

coffee break

領事館の申請時、不思議に思ったことがあります。

「このビザを貼った状態で一度(往復)中国へ行けます。」

これって中国の公安局へ行く前に、一度だけ中国を出入国できるということですよね。

・・・で、ここで思うに、台湾は中国でいいのだろうかということです。

こんなことを中国領事館で聞ける雰囲気でもなかったので、台湾旅行から帰ってきた今、これは中国行きのカウントとされているのかいないのか・・・と考え中。

『地球の歩き方』中国編は中国の空港で没収される可能性があるそうです。台湾が中国とは別の色で表記されているのがその理由だそうです。
一方台湾の軍隊はいつ中国がせめてくるかわからないので、いつでも緊張状態らしいです。

で、今パスポートを恐る恐る見てみたら、中華民国って印が押してあるのを確認。
・・・いつのまにか私は中国モードになっていたのかもしれません。

世界は複雑です。

日本語教師としてようやく その4

6月9日に大学側からワーキングパーミットと中国の日本領事館への提出書類が届きました。

ほほう、これがそうなのか・・・と中国語で書かれている書類を読み?二日後早速それとパスポートを持って中国領事館へ行きました。

ところで領事館で働いているお姉さん方は本当にすごい。
中国語と英語、日本語で矢継ぎ早に来る質問に答え、どうしようもない(書類の不備というか理解してない、ただ来ればいいだろ的な)人たちをうまく交わし、10時スタートの申請窓口(受付)は12時には綺麗に締まりました。残る申請受理窓口だけは戦々恐々。申請しても他に添付書類が必要だったりすれば今日は終了です。また別の日に来て列に並び申請しなおさなければならないために食い下がる人たち(中国語でよくわからないけど適当な言い訳をしているようにしか見えなかった)そんな中でかなりの時間、順番を待って自分の番になりました。

書類の不備もなく、窓口のお姉さんの中国語なまりの日本語での質問にさっさと答え、申請は受理されました。でも

「パスポートがない!」

そうなんです、私はこれを忘れていました。ビザの紙はパスポートにつけられてくるのです。数日間はパスポートなしになるのです。

「16日に窓口に取りにきてください」と言われてから気が付いたのが、16日から夫と一緒に行く台湾旅行でした。
ヤバイ。。。後ろで長く待たされている人たちのきつい視線の中で、必死に16日に台湾へ行くと伝えました。すると受付のお姉さんから3000円の申請料プラス至急発行料金3000円の6000円を払って明日発行するか、申請をやめるかと脅すように聞かれ、しょうがないので翌日発行してもらうことにしました。

前回の健康診断にしてもビザにしても結構お金がかかります。領事館も六本木にあるので電車台も往復2000円ですから、今回のビザには10000円かかったことになりました。

2015年5月2日土曜日

準備期間

合格をもらってすぐに契約書が送られてきました。

きちんと読んで、内容を確認し、サインをしてから送り返します。

内容は募集要項の中に書かれていたものや、向こうでの過ごし方
教えるにあたり、その責任と責任の取り方
などです。


契約書を送り返すとすぐに健康診断書が送られてきました。
時間がかかるので、すぐに病院で予約を取って検診してくださいとのことでした。

私、これは近所の病院で受けられるものと思ってましたが
国立病院か、日中友好医院でしか受けられません。

すぐに日中友好医院に予約を入れました。
検診当日は診断書の用紙も医院に用意してありますし、写真と27000円の診断料が必要です。
所要時間はだいたい2時間もあれば終わるのではないでしょうか。

診断書・血液検査やレントゲン写真などの結果は10日ぐらいかかりそうです。
(忙しい時期はそれ以上)
これらはまた医院に取りに行くか郵送(1000円)してもらいます。


この診断書を受け取ったら裏表をJPEGにして、担当者に送ると次は大学側が
入管に申請を行います。
この時間が長くかかるそうです。

現在、私はこの段階にいます。

許可書をもらえたら、次は大使館へビザ申請に行く予定です。

日本語教師としてようやく その3

行っていいよ

と言われ、前から見ていた日本語教師の集い・日本語教師求人情報にあった

通途教育

をチェックしました。
他の求人情報も見ていたのですが募集数が多いのが魅力的でした。
・60歳まで
・4大卒(ビザの関係上)
と、ハードルが低いのも魅力です。

とりあえずパスポートと卒業証書、履歴書、420時間のJPEGを送ってみようと考えたのですが、
やっぱり自分の個人情報を送るのには抵抗がありました。だって本当に相手が存在するかわからないでしょ?
で、ただの質問メールをおくることにしたのです。

返事はすぐにありました。決して丁寧ではないかもしれないけど、日本語はちゃんと書いてある・・・・・
はて、出すか。。でもやっぱり怖いな・・・どーする?やめとく?

半日過ぎてから ポチッと送ってしまいました。
(どーなるんだろ?心臓バクバクです)

でもそれからすぐに応募する大学の話などを担当者とやり取りが始まりました。

最初に応募した大学は中国で教えたことのある女性限定だったので落ちました(とりあえず給料の良いところに応募してみた)
2回目は、上海に近い某大学に応募。でも面接の設定に時間がかかってしまい落ちてしまいました。
3回目は今年9月からお世話になる大学と巡り合うことになりました。

この期間、1か月もありませんでした。担当者が私の卒業証書等を大学に送り、大学が欲しいと返事があれば、面接になります(SKYPE)

そして合否が知らされるのです。

いろいろ端折ってしまいましたが、次から合格した場合、どのような手続きが必要になるのかを
きちんと書きたいと思います。

日本語教師としてようやく その2

4月からどうしよう?

仕事を無くした私の選択肢は

①某市の中学校非常勤講師登録
②某県の高校非常勤講師登録
③海外へ行く

でした。①はすぐに除外しました。理由は割愛。
一番可能性があったのは②です。英語科の免許なので
産休の先生の代わりとか、外国人枠で入学してきた生徒に
日本語を教える仕事とかできるのではと考えたのです。
で、一番可能性がなかったのは③です。
家族をおいて、一人で海外・・・私としては行きたいけど
旦那(親父)が許してくれるかどうか・・・。

スーツを新調し、高校非常勤登録へ行く準備をしながら
ふと旦那に

「中国、行ってもいい?」

と聞いてみたのです。

「いいんじゃない?やりたいこと止めて後で愚痴られるのいやだし」

とあっさりとお許しがでたのです。
(2記事ほど親父について書いてますが、ちょっとだけ変わってる人です。
・・・というか心が結構いびつな人です。ある部分では大きく、ある部分では
ちっさいwまた親父についても書こうと思います。)


そこから私の鬼のような目まぐるしい毎日が始まりました。

日本語教師としてようやく その1

久々にブログをやろうと決めました。


2月、某市の日本語巡回指導講師を辞めました。
クビというと語弊があるのですが、5年に一度の面接に落ちたのです。
理由は稼ぎが多いからです、多分。
教師として指導力が高く、日本語のノウハウも高いと言われたのに、
落ちた理由は、履歴書にあるとのことでした。

?専修免許があって、日本語教師育成420時間持ってて、6年間勤めてたのに?

意味不明

で、友人がそれとなく聞きに行ったら、収入が年間100万円を超えると
まずいそうです。なぜなら多くの人にお仕事を与えるため、その中で日本語を教えたい
人への門を開いている仕事なのです、この日本語巡回指導講師という仕事は。
しかもダブルワークは不可です。

おお、私の履歴書にはしっかりと他の仕事先が記入されてる!
これか、落ちた理由はこれだったのか!?

・・・誰かが言ってた『日本語教師は清貧たれ』を地で行ってる理由だったんですね。

びっくりです。

なので主婦の片手間にやるなら、給料がいいのでお勧めです。
でも日本語教師としてバリバリやりたい人には不向きです。

実際私は、精神的にこの巡回指導をやってもあと1,2年だと思ってました。

・・・何分、救いがまったくない!

その理由をここで書くと、守秘義務違反で怒られてしまう可能性が
あるので割愛しますが、誰のための仕事なのかということを、上の人たちは
わかっていないのだろうと思います。

海外からの生徒たちには、日本の義務教育があてはまりません。
親が子供を学校へ行かせたくなければ、それでもいいのです。

でも違います、海外から来た子供たちは

子供の権利条約で守られています。法律より条約を遵守しましょうよ、ね?

それが先進国でしょ~、やっぱり

2013年8月22日木曜日

なんのために?

私がジムに行くと何故か親父の機嫌がいい。

だから、仕事が暇なときは体が悲鳴をあげてても
ジムへ行く。

筋肉が付きまくって体重は筋肉分増えた・・・
筋肉痛で思うように歩けない日もある・・
月々のサプリメント購入で金銭的なダメージ
なんか悩み始めてしまった


そして、追い打ちをかける親父の言葉



「命 よ り 健 康 が 大 事 だ」



・・・不等号の向きが馬鹿な私にはわかりません